ありふれた銅像に意外なドラマが?南房総の観光事業を興した島津良男のエピソード:2ページ目
船旅の「特別感」をカギに、観光客の誘致に乗り出す
「せっかく航路を維持しても、利用者が少なければ存続できない……と言って、そもそも金谷の人口はそんな多くないし……そうだ!」
良男が考えついたアイディアは、地域資源の発掘による観光客の呼び込みでした。
「金谷には昔から温泉があるけれど、それだけでは弱いので、鋸山の奇観(※)と、獲れたて新鮮な海の幸、そして『船旅』要素を組み合わせることで、非日常な特別感を味わってもらおう!」
(※)鋸山の石切り場跡は、岩を四角く切り出したため、遠目でもキュービックな山肌が楽しめます。
金谷には東京都心から陸続き(鉄道)でも来られるけど、そこにあえての船旅を挟むことによって、来るまでの道のりも楽しんでもらうことが可能となります。
金谷をはじめ、房総半島の地元民には当たり前な船での移動も、都市部の人たちには新鮮な体験となるはず……果たして良男たちの読みは当たって、昭和三十1955年に開かれた金谷港は大盛況。
後に「春に夏に秋に冬に観光の客陸続として後をたゞざる(※銅像の銘文より)」と称賛されるまでに賑わったのでした。
終わりに
そして現在。金谷の街は高度経済成長期の喧騒から静けさを取り戻したようです。
しかし、かつて小林一茶(こばやし いっさ。江戸時代の歌人)や夏目漱石(なつめ そうせき。明治時代の文豪)、棟方志功(むなかた しこう。昭和時代の芸術家)が訪れ、愛した奇景に触発されたアーティストたちが「石と芸術のまち」として地域振興に取り組んでいます。
また平成十八2006年から始まった「恋人の聖地プロジェクト」では、関東地方で有数のデートスポットとして多くの恋人たちが訪れ、鋸山の頂から見晴らす夕映えの富士山は、二人の忘れられない思い出となっている事でしょう。
こうした金谷の観光資源は、良男をはじめ地元を愛する人々によって発掘・発信されたもの。
どこにでもあるような銅像にも、その一つ一つに歴史ドラマがあるものですから、皆さんも身近に銅像があったら、興味関心を持ってみると面白いと思います。
※参考:
- 海人社『世界の艦船』海人社、1989年11月
- 「石と芸術のまち金谷」10年の軌跡
- 恋人の聖地