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髪など、またいくらでも…明智光秀が戦国一の愛妻家になった、妻・煕子の驚きの決断

髪など、またいくらでも…明智光秀が戦国一の愛妻家になった、妻・煕子の驚きの決断

「髪など、またいくらでも……」煕子の決意に応えた光秀

果たして汁講は大いに盛り上がり、みんな満足して帰途につきましたが、あの御馳走の代金はどうやって調達したのか気が気ではありません。

「おい煕子、あの銭はどこから手に入れた?」

いくら出世の可能性を求めるためとは言え、よからぬ手段を用いてはおるまいな……光秀の詰問に、煕子は頬被(ほっかむ)りしていた手拭いを外しました。

「……そなた……っ!」

長くて美しかった彼女の髪が、肩にも届かぬほどバッサリと切られています。煕子は、自分の髪を売って御馳走を調達したのでした。

「……髪など、またいくらでも伸びます。それよりも、今はあなた様の可能性をこそ伸ばして差し上げたいのです」

気丈に言い切った煕子でしたが、やはり髪は女の命とあって、その辛そうな表情やかすかな身震いが、光秀の胸を打たずにはいられません。

「相分かった……必ずや立身出世を果たし、そなたの想いに報いようぞ!」

それからと言うもの、光秀はこれまで以上に自分を売り込み、やがて織田信長(おだ のぶなが)との出会いによって立身出世を果たしたことは、広く知られる通りです。

共に苦労を乗り越えた二人だからこそ、夫婦仲も睦まじかったのかも知れませんね。

終わりに

以上『名将言行録(めいしょうごんぎょうろく)』の伝えるエピソードを紹介しましたが、貧乏に負けることなく志を高く持ち、人とのつながりに立身出世の可能性を賭けた光秀夫婦の姿は、現代の私たちにも勇気を与えてくれます。

「若い頃は貧乏したけど、何だかんだ言っても楽しかったね」

そう笑い合えたらよかったのですが……信長とも一緒に味噌汁を楽しめるような関係だったら、歴史が大きく変わっていたのかも知れません。

※参考文献:
永山久夫『武将メシ』宝島社、2013年3月

 

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