水戸黄門もお気に入り?羊羹で有名な和菓子の老舗「とらや(虎屋)」5世紀の歴史!:3ページ目
水戸黄門もお気に入り?和菓子づくりで活躍した江戸時代
そして江戸時代。長い長い太平の世においても刻々と刻まれ続ける虎屋の歴史をごく駆け足で紹介していきます。
延宝二1674年
鐶虎紋(※1)の入った井籠(※2)の外箱が制作される(現存)。
天和四1684年
井原西鶴(いはら さいかく)の浮世草子『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)』に「虎屋の羊羹」が登場する。
貞享四1687年
大嘗会(※3)にお供えする和菓子を奉納する
元禄元1688年
徳川光圀(とくがわ みつくに。水戸黄門)が霊元(れいげん)上皇に虎屋の大饅頭を献上
正徳四1714年
五代目店主・光冨が江戸に支店を出すも、翌1715年早々に撤退。
※上方の味覚が江戸っ子の口に合わなかったのでしょうか。この事業失敗が心身にダメージを与えたのか、光冨はその翌1716年に亡くなってしまいます。
安永五1776年
現在のパッケージデザインの元になった蒔絵の虎が描かれた雛井籠(※2)が作られる(現存)。
安政七1860年
和宮(かずのみや)の御月見儀式に月見まんじゅうを納める
※ちょうどこの頃は徳川将軍家への降嫁直前であり、結婚が嫌で憂鬱な和宮を少しでも御慰めしたい気持ちで、虎屋でも丹誠込めて和菓子が作られたことでしょう。
文久三1863年
第14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)の上洛に際して御用を承る
※ちょうど同じ頃、関東からやって来た壬生浪士組(みぶ ろうしぐみ。後の新選組)が将軍のお役に立ちたいと願いながら、近づけさえしなかったことを思うと、和菓子づくりで貢献できた虎屋は大変な名誉……とは別に思っていなかったかも知れません。
※実際のところ「東夷(あづまゑびす)に食わせる和菓子はない」、あるいは「京都一の甘味で、あの野蛮な連中をビビらせたろ」などと思っていたのではないでしょうか。
(※1)虎の文字を鐶(かん)=鉄器や箪笥の把手で囲った紋。
(※2)せいろう。和菓子を届けるする際に用いた容器。岡持ち。
(※3)だいじょうえ。天皇陛下の即位式。
こうしてざっと見て来ましたが、井原西鶴や徳川光圀、和宮に徳川家茂……歴史の授業で名前を聞いたような面々がズラッと登場。虎屋は自慢の甘味をもって、歴史の傍らに寄り添い続けてきたようです。