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水戸黄門もお気に入り?羊羹で有名な和菓子の老舗「とらや(虎屋)」5世紀の歴史!

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虎屋が見届けた戦国乱世の終焉

しかし、和菓子づくり一筋に見える虎屋も、戦国乱世を生き抜いた老舗とあって、武士や合戦とまったくの無縁ではなかったようです。

例えば慶長五1600年、関ヶ原の合戦で敗れた西軍の武将・石川備前守光吉(いしかわ びぜんのかみ みつよし。尾張犬山城主)を東軍の討手より匿い、妙心寺(現:京都市右京区)へ逃がしたエピソードが残されています。

※ちなみに、光吉の弟には賤ケ岳の合戦で壮絶な討死を遂げた石川兵助一光(へいすけ かずみつ)や、石川流忍術の祖とも言われる石川長松一宗(ながまつ かずむね)がいます。

※石川一光のエピソードはこちら

死ぬまで秘めた恋心……一番槍を果たしながら「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将・石川一光【下】

前回のあらすじ[insert_post id=121712]時は天正十一1583年4月、織田信長(おだ のぶなが)亡き後、後継者の座をめぐって柴田勝家(しばた かついえ)と羽柴秀吉(はしば…

当時、京都において市豪(しごう。豪商)と称された中興初代店主・黒川円仲(くろかわ えんちゅう)ですが、天下分け目の決戦を制した徳川家康に逆らうとは、相当の度胸と覚悟を必要としたことでしょう。

そんな円仲の度胸は、義兄(※姉の夫)である塙団右衛門直之(ばん だんゑもん なおゆき)に影響を受けたのかも知れません。

団右衛門は幾度もの浪人暮らしをものともせず、槍一本で数々の武功を立て、最期は大阪夏の陣(慶長二十1620年)で華々しく散っています。

義兄の死と共に乱世の終焉(元和偃武)を見届けた円仲は、よりいっそう和菓子づくりに精を出したことでしょう。

3ページ目 水戸黄門もお気に入り?和菓子づくりで活躍した江戸時代

 

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