実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【五】:2ページ目
腹いせに大砲を撃ち込む!芹沢鴨の暴走は続く
それからと言うもの、すっかり吹っ切れてしまったのか、芹沢一派の乱暴狼藉は留まるところを知りませんでした。
「おい芹沢さんよ、アンタ自分が何してるか解ってンのか?勝手な金策は切腹だぞ!」
「うるせぇな……俺ぁ手前ェのカネじゃなくて、隊の任務に必要なカネを用立ててやってンじゃねぇか……会津のお殿様が、あまりにケチなモンでな」
「会津にだって、予算の都合ってモンがあるんだろうよ……とにかくこれ以上、壬生浪士組の評判を落とすような真似をすンじゃねぇよ!」
「……へいへい」
後に新選組「鬼の副長」と恐れられた土方歳三(ひじかた としぞう)が芹沢に詰め寄る姿が、この頃は日常となっていました。
「土方君……少し静かにしてくれないか……あまり怒鳴り散らしていると、身体に『毒』だよ……」
口を挟んだのは、芹沢のブレーン新見錦(にいみ にしき)。その傍らには腹心の平間重助(ひらま じゅうすけ)と平山五郎が控えています。
「と……とにかく、今後は謹んで貰いますよ」
そんな土方を嘲笑うかの如く、文久三1863年8月13日、芹沢一派は資金の「融資」を断られた腹いせとして、京都の生糸問屋・大和屋庄兵衛(やまとや しょうべゑ)の店に大砲を撃ち込み、焼き討ちする暴挙に出ました。
「我らが尽忠報国の志を邪魔するヤツぁ、誰であろうと容赦はしねぇぞ!分かったか馬鹿野郎!」
……この一件で会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)は激怒して局長・近藤勇(こんどう いさみ)を呼び出して叱責。見捨てられたくない近藤は平謝りで「必ず、芹沢を始末する」事を約束するのでした。