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そうだったの?江戸時代 知られざる参勤交代のあれこれ。大名行列は派遣頼み?江戸では土下座をしなかった?

知られざる参勤交代のあれこれ。大名行列は派遣頼み?江戸では土下座をしなかった?

江戸では土下座なし?

時代劇ではよく平民が、大名行列に出くわすと慌てて土下座する場面が描かれますね。しかしこれ、頻繁に大名行列に出くわすことの多い江戸の中では、平民は土下座する必要はなかったのです。

「下にぃ、下にぃ」といって土下座させられるのは、将軍家・御三家・御三郷だけで、他の大名は「寄れ」といって脇に寄らせるだけでした。

ちなみに他の大名も将軍家・御三家・御三郷に出会うと、藩主が駕籠を下りて挨拶しなければなりませんでした。

地方の大名たちが「下にぃ~」と威張れるのは、江戸の領域を出てから。自分の領地に戻ると更に強い態度を取っていたようです。

近道、おしゃべりはだめよ

道中は藩によってさまざまな決まり事があり、なかには田圃を通って近道しない、おしゃべりしない、宿に着いたら女遊びをしない、喧嘩しないなど「修学旅行の高校生かよ」と言いたくなるものも。

同じ藩士同士の喧嘩の場合、喧嘩両成敗で切腹させられた武士もいたようです。

藩主が具合が悪い場合は?

島原藩の4代藩主・松平忠刻は途中で持病の痔や水腫があり、亡くなってしまいました。

ただ、幕府への跡継ぎの報告なしに藩主が空位になってしまうと、藩の取り潰しにつながりかねず、道中で亡くなったとは伝えらないため、死亡を伏せたまま藩主療養の願いと、嫡男への代替わりの願いを同時に出して、何とかしたようです。

参考文献:『参勤交代の不思議と謎

 

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