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静かな川原で繰り広げられた血みどろの惨劇!目久尻川のカッパ伝説を紹介

静かな川原で繰り広げられた血みどろの惨劇!目久尻川のカッパ伝説を紹介

かつては日本全国各地に棲息していたカッパ(河童)たち。高度な知能を駆使して独自のコミュニティを構築していた彼らは、人間たちと仲良く共生する者もいれば、残念ながら害をなす者もいました。

今回はそんなカッパと人間の関わりを現代に伝える、目久尻(めくじり)川のカッパ伝説を紹介したいと思います。

御厨尻(みくじり)が訛って「めくじり」川に?

目久尻川は神奈川県相模原市の水源から(以下同県)座間市、海老名市、綾瀬市、藤沢市、寒川町を経て相模川に注ぐ一級河川。

そんなどこにでもありそうな川ですが、その語源は、かつて上流(現:座間市栗原周辺)から川に沿って御厨(みくりや※1)が広がり、その下流限界を「御厨尻(みくじり)」と呼んだのが「めくじり」と訛ったと言われています。

(※1)寺社へ奉納する御供物の供給地。その代わり国司への租税を免除されたため、豪族や貴族たちが富を蓄えるのに都合が良かった。ここでは相模國一宮・寒川神社(さむかわじんじゃ)への御供物を作っていた。

しかし、それでは上流域でも「めくじり」川と呼んでいる理由が曖昧であり、もっと全流域に強烈なインパクトを与えるエピソードがあった筈……そこで調べてみると、中流域の海老名市にこんな伝説が残されていました。

カッパに作物を奪われ続け、ついにキレた村人たち

今は昔、この川の流域にカッパが棲みついておりました。よほど居心地が良かったのかカッパたちは順調に繁殖、すると食糧が足りなくなってしまいます。

川で獲れる魚には限りがある……となれば、陸に上がって人間たちの作物に目をつけ、手を出してしまうのは自然な流れ。

古来カッパは「川の神様(河伯、かはく)」であり、その思し召しとあらば多少の被害は微笑ましく見守るのが人間の務め……とは言いながら、カッパの数はどんどん増えて留まるところを知らず、被害も比例して拡大。

それでも人間たちは神様の思し召しならば、と我慢を重ねていましたが、カッパたちの手が神様にお供えする御厨の作物にまで及んだ瞬間、とうとう人間たちはキレてしまいます。

「畏れ多くも寒川大明神(※相模國一宮・寒川神社の御祭神)にお供えする作物を奪うとは不敬千万!あんな奴らは神様ではない!」

「そうとも!積年の恨み、今こそ晴らさでおくべきか!」

「おう、殺(や)らいでか!」

村人たちは手に手に鍬に鎌に松明を持って川に集結。その上流と下流から総力を挙げて「川狩り」に乗り出したのでした。

2ページ目 目玉をくじってカッパの尻に……!

 

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