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一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【二】

一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【二】:3ページ目

馬関戦争の責任はすべて幕府に押しつけ、ひとまず窮地を切り抜けた長州藩だが……

「我が長州藩は、あくまで幕命に従って攘夷を決行した(させられた)のであるから、賠償金は責任者である幕府が全額を支払うべき。むしろ我らが幕府に賠償金を請求したいくらいだ」

晋作はその他の条件(馬関海峡の自由通航、石炭や食糧などの提供販売、荒天時の上陸避難、馬関砲台の撤去)には応じたものの、彦島だけは絶対に譲りませんでした。

「一度租借してしまえば、アヘン戦争に敗れた清(香港、マカオ)の二の舞を演じることになる!」

畏れ多くも開闢(かいびゃく。天地創造)以来、代々の天皇陛下が治(しろ)しめ賜うた日本の皇土を夷狄(いてき=ゑびす≒外国の侵略者)の連中に領(うしは)かせしめてなるものか……そんな尊皇思想を持った晋作は、あらゆる屁理屈をこねくり、ハッタリをかまして彦島の租借を断固拒否。

得られない領土分は賠償金に上乗せしたのか、とうとう連合軍は彦島の租借を諦めたのでした。長州藩としては鐚(びた)一文支払わない=幕府に丸投げした賠償金など、いくら増額しようが痛くも痒くもありません。

かくして、とりあえずは片づいた馬関戦争の後始末ですが、300万ドルという巨額の賠償金をたらい回しにされた幕府は大激怒。

(いえ、その件につきましては高杉晋作とかいう身分の低い者が勝手に決めてしまった事でして……)

などとは長州藩の体面上、口が裂けても言えない経幹らは必死に弁明。のらりくらりと時間を稼ぐ内に、支払期限は刻々と迫ります。

欧米列強は「誰でもいいから、とにかく賠償金を支払え。さもなくば戦闘再開だ!何なら日本全国を相手にしてもいいんだぞ!」と息巻いており、長州藩は「ない袖は振れません。日本が滅ぶならその時は(賠償金を支払わなかった)幕府のせいですからね~」とばかりに開き直ってしまったため、幕府は断腸の思いで賠償金を工面したのでした。

(おのれ長州藩のヤツらめ、朝敵の分際で……!)

幕府はかねてより進めていた長州征伐の計画を着々と進める一方で、経幹らの心労はますます重なっていくのでした。

【続く】

※参考文献:
児玉幸多・北島正元 監修『藩史総覧』新人物往来社、1977年
中嶋繁雄『大名の日本地図』文春新書、2003年
大山柏『戊辰戦役史 上下』時事通信社、1968年
笠谷和比古『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』講談社学術文庫、1994年

 

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