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信長側からみて明智光秀はいつ登場した?織田信長の家臣が記した貴重な史料「信長公記」

信長側からみて明智光秀はいつ登場した?織田信長の家臣が記した貴重な史料「信長公記」:3ページ目

比叡山焼き討ちのときはどうだったの?

信長を描くときに避けて通れない比叡山焼き討ち。起きたのは1571年、室町幕府が崩壊する二年前のことです。

よくドラマでは信心深く温厚な光秀が、信長に対して比叡山焼き討ちを考え直すよう諭していますが、どうやらそうでもなかったようです。

小説ではないので『信長公記』には客観的事実しか書いてありませんが、焼き討ちのあと、光秀に志賀郡という領地を与え、光秀は比叡山領地であった琵琶湖ほとりの坂本(現在の滋賀県)に城を構えたと記述があります。

もし信長に楯突いたり異論を唱えたのであれば、領地を与えることはなかったはず。ルイス・フロイスによると、坂本城は安土城につぐ壮大な城だったと書き記しているので、むしろ存分な働きをみせたということでしょう。

 

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