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人斬り鍬次郎と呼ばれた、幕末の知られざる人斬り!新選組・大石鍬次郎

人斬り鍬次郎と呼ばれた、幕末の知られざる人斬り!新選組・大石鍬次郎

数々の戦闘と暗殺により人斬りの異名へ

入隊後は総司率いる一番隊に配属されます。慶応2年(1866)に起きた三条制札事件では原田佐之助らと共に10人の隊士を率いて出動しています。

しかし、他の隊士たちとの連携不足で到着が遅れてしまったため、これといった活躍は出来ませんでした。

翌年の慶応3年(1867)に起きた油小路事件では伊東甲子太郎を暗殺し、大きな活躍を見せます。

その後は同年12月に起きた天満屋事件(てんまやじけん)では斎藤一らと共に紀州藩士・三浦休太郎の護衛に当たりました。休太郎自身は顔面に傷を負ったものの、命に別状はなく無事に任務を果たします。

数多くの戦闘を経験し、伊東甲子太郎も暗殺した鍬次郎はいつの間にか「人斬り鍬次郎」の異名を持つようになりました。

そんな異名を持っていた鍬次郎でしたが、入隊間もない隊士に隊務について教えていたこともあり、面倒見のいい一面も持っていました

3ページ目 暗殺の代償は死

 

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