すぐ先延ばししちゃう人必見!徳川家康のブレーン「林羅山」のごもっともな教訓に耳が痛い…
「ダイエットは明日から」
なんて迷言があるように、一念発起したまではいいけれど、なかなか踏ん切りがつかないまま、つい月日が過ぎてしまうことは多いもの。
そんな失敗は昔の人々も変わらなかったようで、今回は初志貫徹して学問を修めた江戸時代の儒学者・菅得庵(かん とくあん)のエピソードを紹介したいと思います。
得庵少年、学問を志す
得庵は戦国末期の天正九1581年、播磨国飾磨郡蒲田村(現:兵庫県姫路市)で生まれました。本名は菅原玄同(すがわらの はるあつorげんどう)と言いますが、便宜上ここでは得庵で統一します。
さて、得庵少年はある年の大晦日、儒学者として高名な林羅山(はやし らざん)に弟子入りを申し込みました。
「……それでは先生、どうか来年からご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます……」
来年とは言っても大晦日ですから、要するに明日からと同じ意味なのですが、それを聞いた羅山は得庵をこう諭しました。