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江戸の大半を焼いた「明暦の大火」後、幕府はいよいよ防火対策に本腰。江戸の町はどう変わった?
明暦3(1657)年1月18日に未曾有の大火事、明暦の大火がおきたことで、幕府はいよいよ防火対策に取り掛かりました。江戸三大大火の一つ「明暦の大火」については以前ご紹介しました。
当時の混乱は凄まじかった…江戸の町が焼け野原となった「明暦の大火」
明暦3年に発生した「明暦の大火」は、江戸市街の3分の2を焼き尽くす大火事でした。風が吹き荒れる中、本郷丸山本妙寺で火事が発生し、あっという間に火は広がり、ついに江戸城の天守閣は焼失してしまいます。江戸…
火除け地や防火堤で防ぐ
防火対策、まずは江戸城です。郭内に火除け地という空き地を造り、城下からの火災が発生しても城内への延焼を防げるようにしたのですね。また、大火以前は武家屋敷も豪華な建物で大きな門を構えていましたが、梁間三間(はりまさんげん)約5.9m以上の建築物は禁止になりました。そのため、江戸城下から豪華な武家屋敷はなくなってしまいます。
町人地には、火除け地と防火堤を新設しました。日除け地は広小路とも呼ばれ、大火の延焼を防ぐことが目的です。これらを作るために市中の町屋を移すこともあり、中山道に通ずる外堀交通の要地=筋違橋門内にある連雀町もそのひとつでした。橋を火災から守るべく、近隣の住民は武蔵野の郊外へ移されたのです。
一方の防火堤は、高さ二丈四尺(約7.3m)の長土手を築いた上に、火に強いといわれた松が植えられていました。
さらに町人地は、町割りも新たになります。火災時に道路が狭くて避難できなかった住民がいたことを教訓とし、従来は京間三間(約5.9m)だったのを五~六間(約9.9~11.8m)にひろげたので、だいぶ広々としました。
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