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遊女への豪遊が「砂糖の値段」を吊り上げた?オランダ人も虜にした丸山遊郭と江戸スイーツの関係

遊女への豪遊が「砂糖の値段」を吊り上げた?オランダ人も虜にした丸山遊郭と江戸スイーツの関係

 
2026/08/28

江戸の町では甘い味を好む女性が多く、菓子屋の前に人が集まる光景が日常的でした。

砂糖は、奈良時代には孝謙天皇のもとへ伝わったとされていますが、当時は貴重品で、その後も長い間一般の人が使うことはほとんどありませんでした。

長らく、日本では甘味と言えば蜂蜜や飴、干し柿などが中心で、砂糖は特別な場で使われる程度の存在でした。

状況が変わったのは島原の乱の後で、鎖国が進むにつれて砂糖の流通量が増えたのです。

江戸の町で砂糖を使った菓子が売られ始めたのもこの時期で、調味料が増えたことで料理や漬物の味が豊かになり、食文化の幅も広がりました。

江戸初期の代表的な砂糖菓子として知られるのが金米糖です。長崎から上方を経て江戸へ伝わったこの菓子は、当初は武士や僧侶などの限られた層しか口にできない高級品でした。

その金平糖も、やがて小壺や桐箱に入れられ市販されるようになります。

すると、庶民の間でも人気が高まりました。砂糖水に小麦粉やけし粒を加えて加熱する製法がヒットして、角のある白い結晶の形や色づけの美しさが人々の目を引いたとされます。

砂糖の普及は江戸の食文化を大きく変える力を持っていたといえるでしょう。

2ページ目 江戸の女性たちと和菓子

 

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