遊女への豪遊が「砂糖の値段」を吊り上げた?オランダ人も虜にした丸山遊郭と江戸スイーツの関係:2ページ目
江戸の女性たちと和菓子
さて、文政期の隅田堤では桜餅が名物として知られ、多くの人がその味を求めて店を訪れました。
桜の香りと甘味の調和が江戸の人々の好みに合っていたことに加え、店の娘であるおとよの美貌が人気を後押ししたとされます。
おとよは錦絵に描かれるほどの評判で、のちに閣老・阿部正弘の側室となった人物です。菓子の魅力と人物の存在が相まって、桜餅は江戸の名物として広く知られるようになったのです。
桜餅に使われる桜の葉は年間三十数樽で、一樽に約二万五千枚が入っていたため合計で八十万枚ほどが必要でした。
また、桜餅の値段の四分の一が砂糖によって占められていたことからも、砂糖が菓子の価値を左右する要素だったことがわかります。
深川佐賀町の船橋屋も江戸を代表する菓子店として知られ、大名や豪商が客として訪れました。茶を点てる際には船橋屋の羊羹が注文されることが多かったといいます。
船橋屋では小倉や百合、薯、紅、栗など十数種の羊羹が作られ、その品質は最高級と評価されていました。
ちなみに明治期に入って大名や旗本、寺院が没落すると船橋屋もその流れに合わせて衰退。代わって勢力を伸ばしたのが虎屋です。
このように、江戸時代は上流階級が羊羹を好んだ一方で、吉原の遊女たちは金つばやさつま芋を好んだとされます。特に金つばは、女性への手土産としても人気がありました。

