将軍がいなくても京都は回る!?「将軍なき政治」を成立させた三好長慶の凄みと崩壊の理由
将軍のいない京都
戦国時代の京都といえば、室町幕府と将軍が政治を動かしていたイメージが強いです。しかし、その常識をくつがえした武将が三好長慶でした。
三好氏は阿波(徳島県)の守護・細川氏に仕える有力武士の家系でした。ところが長慶の父・元長は細川晴元と対立して自害し、長慶は数え11歳で家督を継ぐことになります。
若い長慶が最初に選んだ相手は、意外にも、父の仇である晴元でした。晴元に従いながら摂津を足場に勢力を広げ、家柄だけに頼らず能力のある人物を家臣に取り立てるという政治を行ったのです。
やがて晴元との対立が深まり、1549年には晴元を近江へ追い出しました。
ここで長慶は、晴元と行動していた13代将軍・足利義輝を京都へ戻す道を選びませんでした。
長慶が始めたのは、将軍のいない京都で政務を行う政治だったのです。朝廷とも協議しながら政務を進め、将軍家を政治の中心から外した政権が成立したのです。
さらに1553年には足利義輝を追放しました。1558年の改元では朝廷から補佐を任されるなど、将軍が担っていた仕事の一部まで長慶が処理しています。

