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村上水軍を率いた戦国武将!幼い弟を支え、共に海へ散った得居通幸の波乱に満ちた生涯

村上水軍を率いた戦国武将!幼い弟を支え、共に海へ散った得居通幸の波乱に満ちた生涯

戦国時代の合戦と聞いて、多くの方は地上戦を思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし合戦は海でも繰り広げられており、全国各地で水軍衆が活躍していました。今回はそんな水軍衆の一人・得居通幸(とくい みちゆき)を紹介したいと思います。

果たしてどんな人物で、どんな活躍をしたのでしょうか。

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幼くして家督を継いだ弟を支える

得居通幸は弘治3年(1557年)、来島通康(くるしま みちやす)の長男として誕生しました。

父の通康は瀬戸内海で暴れ回った村上水軍の一族で、独自の水軍(来島村上氏)を率いています。

その家督は嫡男である弟の来島通総(みちふさ)が継ぎ、通幸は得居家へ養子入りし、その家督を継ぎました。

ただし永禄10年(1567年)に父の通康が亡くなり、通総が家督を継いだのはわずか7歳と幼かったため、通幸が弟を補佐したと言います。

とは言え通幸も当時まだ11歳ですから、実際には家臣たちが政務を取り仕切っていたのでしょう。

成長した通幸は伊予国の戦国大名である河野通宣(こうの みちのぶ)・河野通直(みちなお)に仕え、天正6~8年(1578~1580年)ごろに鹿島城主となりました。

鹿島城は伊予国北条沖の鹿島(愛媛県松山市)に築かれており、海上警備所のような性質を有していたようです。

通幸は家臣たちをことごとく鹿島へ渡らせ、瀬戸内海の警備に眼を光らせていました。

2ページ目 河野・毛利の猛攻撃を耐え抜く

 

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