村上水軍を率いた戦国武将!幼い弟を支え、共に海へ散った得居通幸の波乱に満ちた生涯:2ページ目
河野・毛利の猛攻撃を耐え抜く
しかし天正10年(1582年)4月、中国攻略に当たっていた羽柴秀吉の調略によって、弟で来島村上氏の当主であった通総とともに河野氏から織田信長へ鞍替えします。
この裏切りに憤った家老の村上吉継(よしつぐ)・村上吉郷(よしさと)らは来島村上氏から離反し、河野氏そして毛利氏とともに来島村上氏を攻め立てました。
能島(のしま)村上氏の村上武吉(たけよし)・村上元吉(もとよし)が尖兵となって猛攻撃を加えますが、通総はこれを1年近く持ちこたえます。
しかし天正11年(1583年)3月になるとついに通総が敗走して秀吉の元へ駆け込み、攻撃の矛先が通幸へ向けられるようになりました。
通幸は孤立無援の中で懸命に防戦し、約半年が過ぎた8月になると、攻撃がやんだようです。
降伏や逃亡した記録はないため、通幸が鹿島城を守り抜いたと考えてよいでしょう。能島村上氏・河野氏・毛利氏ら連合軍を相手に戦い抜いた通幸の大殊勲と言えます。
