朝ドラ『風、薫る』「私たちは医師の部下ではない」ナース4が病院に突きつけた“看護婦の誇り”と改革の一歩
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」、6月22日(月)から始まった第13週のテーマは『白昼の夢』。
帝都医大病院で働くことになった4人の卒業生「ナース4」に、院長・多田 重太郎(筒井 道隆)と副院長・渡辺行成(森田甘路)が、いきなり重責を課してきました。
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4人はトレインドナースとして働くだけではありませんでした。それぞれ配置された科で『看護婦取締』として、看病婦たちの指導や管理、さらに新設した「看護科」に集った看護学生らの授業の講師や育成まで押し付けられたのです。
早速、当時実際に“トップクラスの大学病院でも存在した問題”に直面します。
▪️病院も医師らも「看護婦」の仕事をよく理解していない
▪️男性医師らが看護婦を「対等」の立場だと認識していない
▪️激務なのに病院側の待遇が悪い
新人なのに、諸問題と戦わざるおえない「ナース4」。
けれど、バーンズ先生(エマ・ハワード/モデルは実在のアグネス・ヴェッチ)の夢、「日本中に看護婦を増やす」を叶えるために頑張ります。
規則の設定・医師への提言・従来の看病婦の教育・看護婦の地位向上など“看護婦のパイオニア”が最初に手がけたことを、ドラマの流れと当時の現状を照らし合わせつつ、ご紹介しましょう。
※現在は「看護師」という名称ですが、この記事では当時の名称に合わせ「看護婦」と表記しています。
※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。
明治22年帝大第一病院で「看病法講習」が始まる
史実でも、日本の“医科大学附属医院”による看護婦養成は、明治20年(1887)の帝国大学医科大学第一病院(ドラマの舞台/現在の東大病院)による『看病法講習』が初めてです。
明治21年(1888)桜井女学校看護婦養成所(ドラマの梅岡女学校附属看護婦養成所)の見習い看護学生などが試験を受けて、講習終了証明書が交付。
翌年には、看病法の講義がスタート。講師は馬島永徳と瀬尾原始(ドラマでは外科助手・黒川勝治/平埜生成)で、10月には1年間の看病法講習科が始まりました。
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第1回の講習生は28名で、17歳から35歳までと年齢層は幅広く、作法見習いをしていた者・家庭で漢学を学んでいた者・私塾や女学校を卒業した者・高等師範を卒業した者・看病婦・産婆などさまざまな人が集まったそうです。
(『日本における看護婦養成市場の観点からみた明治20年代の看護婦養成の意義』)
ドラマの中でも、まだ古い丸髷の人もいれば、生意気でくせの強い土居ヒデ(池田朱那)のようにフロントを膨らませたアップで大きなリボンをあしらう新しいヘアスタイルの人までさまざま。年齢差も家庭環境も差がありそうです。
ちなみに、以前は診察も手術もスリーピース姿のままだった外科助手・黒川勝治も、外科教授・今井益夫(古川雄大)も、白衣を着用するようになりましたね。
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実際、医師や看護婦の白衣姿が見られるようになったのは、明治20年代頃からだそうです。




