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福岡「博多座」がもたらす文化の息吹——“場”があるからこそ、新たな風物詩は生まれる

福岡「博多座」がもたらす文化の息吹——“場”があるからこそ、新たな風物詩は生まれる

福岡県福岡市にある博多座では、二月と六月に歌舞伎公演が行われることが通例となっています。

毎年六月の博多座歌舞伎公演では、興行の始まりを告げる「船乗り込み」が行われます。公演に出演する主要俳優たちが、福岡市内中心部を流れる博多川を船で下っていきます。川沿いには毎年のように多くの人が、福岡へやってきた俳優たちに向けて、歓声と喝采を上げて出迎えます。

今や博多の初夏の風物詩です。

「芸どころ・博多」の歴史を背負って

近年では歴史ある多くの劇場が、悠久の時を感じさせる雰囲気から一変して、近代的な高層ビル型へと変化しつつあります。

博多駅と九州最大の繁華街・天神の間をつなぐオフィス街・中洲川端周辺にある博多座は、他の劇場と異なり開場が比較的最近であるため、開場当初からビル型の造りです。

赤く大きな「博多座」と記された二つの大きな提灯が、高層ビルが連なる街並みの中に埋もれることなく、劇場の存在感を際立たせています。

博多座ができたのは20世紀が終わりに近づき、21世紀への幕開けを待つ平成11(1999)年です。博多座という名前の劇場は、実は明治時代にもかつて存在していました。

旧・博多座は明治43(1910)年に完成しましたが、それ以前にも、博多には、東中洲周辺を中心に「明治座」や「寿座」、のちの「福岡宝塚劇場」(昭和18(1943)年に改名)である「九州劇場」など、明治末~大正時代に、次々と劇場が生まれていました。

また、同じく博多の呉服町には、「大博劇場」ができました。この大博劇場は当時九州一の集客規模を誇り、戦後にかけて福岡の興行の拠点として、歌舞伎や宝塚歌劇の公演を行っていました。

しかし昭和47(1972)年の大博劇場の閉場後は、長く博多には演劇や芸能の「常打ち小屋(一定の場所で決まった演劇や芸能が定期的に、あるいは連日興行される場所)」がありませんでした。

福岡の財界や市は、この状況に危機感と不安と物足りなさを感じていたのでしょう。博多に「常打ち小屋」を復活させる機運が高まり、その思いが形になり、現在の博多座が誕生しました。ここは福岡の芸能文化にとって悲願の存在だったのです。(参照:NetIB-News)

2ページ目 「襲名」文化のある国、日本

 

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