藤原道長の栄華は“賄賂”で築かれた!国司利権を食い尽くし、平安貴族を自滅へ導いた男
国司という利権
「国司」という、教科書や日本史の本でよく見かけるものの実態がよく分からないポストについて解説します。
平安時代、地方行政を担っていたこの役職は、本来は中級貴族が就く地味なポストでした。
しかし時代が進むと、豊かな地域である熟国に赴任した国司は莫大な利益を得られるようになり、一気においしい役職へと変質していきます。
そして任命には実力よりも門閥の力が重要となったことで、有力貴族に取り入るための賄賂や奉仕が横行しました。
国司希望者は貴族の家来のようにふるまい、貴族は自分の息のかかった人物を熟国に送り込み、見返りとして多額の献上を受け取る……そんな構造が定着していきます。
この利権構造を最大限に利用したのが、摂関政治の頂点に立った藤原道長でした。
道長は国司任命権をほぼ独占し、国司や国司希望者から大量の賄賂を受け取っていました。
記録には、道長邸の造営を国司に割り当てたり、源頼光が家具一式を献上したりしたという記録も残っています。
国司は帰京のたびに米や地方産物を藤原氏に献上しており、こうしたことから藤原氏の富の主財源は荘園ではなく賄賂だったことが分かります。
一方で、国司がこれほどの賄賂を払えたということは、彼らがそれ以上の利益を地方で得ていたことも意味します。
つまり、国司の不正はそのまま国家の税収減につながり、朝廷の財政をじわじわと弱らせていく結果になったのです。
藤原氏は自らの繁栄のために国司の腐敗を利用しましたが、それは同時に自分たちの存立基盤を削る行為でもあったと言えるでしょう。
