藤原道長の栄華は“賄賂”で築かれた!国司利権を食い尽くし、平安貴族を自滅へ導いた男:2ページ目
武士の誕生
国司の腐敗は、財政だけでなく軍事制度にも深刻な影響を与えました。
九世紀以降には国の戸籍制度が崩壊し、律令で定められた徴兵が難しくなります。
そこで朝廷は国司に対して「有事の際には兵を集めよ」と命じましたが、国司はそのために地方豪族を手なずけ、武装した勢力を味方につけるようになりました。
当時は治安が悪化していたため自衛のために武装する豪族が多く、国司は彼らと結びつくことで軍事力を確保したのです。
こうして一部の国司は、行政だけでなく軍事力まで握る存在へと変貌していきます。
内乱の鎮圧で功績を上げた国司は重用され、その地位は子孫にも引き継がれました。
これが、のちに軍事貴族と呼ばれる層の誕生につながります。源氏や平氏、そして木曽義仲など、後に日本史を動かす武士の多くは国司の家柄に由来していました。
社会が混乱し、戦乱が増えるほど、軍事貴族の活躍の場は広がり、彼らは政治の主導権を握るようになります。
こうして、もとは中級貴族の役職だった国司が、平安末期には武士政権の母体となるほどの存在へと変わっていったのです。
