【豊臣兄弟!】ついに前田利家(大東駿介)が登場!信長激怒の大失態から転落〜復活までの軌跡
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』第4回「桶狭間!」を境に、織田信長(小栗旬)の家中には続々と人材が集まって来ます。
その中には、2月1日(日)放送の第5回「嘘から出た実(まこと)」で初登場する、槍の又左衛門(またざゑもん)と異名をとった前田利家(大東駿介)の姿もありました。
後に小一郎(仲野太賀)や藤吉郎(池松壮亮)らのライバルそして盟友となる人物ですが、実は、信長に仕えながらも一度は出奔、信長の怒りを買い、桶狭間の決戦ですら“出陣禁止”の身でした。それでも勝手に戦場に飛び込み首級を上げる武功を立ててしまう破天荒ぶり。
というわけで、今回は史実ベースで前田利家の青年期(傾奇者ぶり/武功/笄斬り/桶狭間での無断参戦)を紹介します。
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武勇に優れた傾奇者
前田利家が誕生したのは天文7年(1539年)12月25日、藤吉郎より1歳年下、小一郎より2歳年上でした(※諸説あり)。
前田利春(としはる)の四男として尾張国愛智郡荒子(愛知県名古屋市)で生まれ、幼名を犬千代(いぬちよ)と言います。あえて犬と呼ぶことで悪霊が魂を持って行かないよう偽装しつつ、千代の長寿を願って名づけたのでしょう。
そんな利家が元服し、信長に仕えたのは13歳となった天文20年(1551年)。若いころは血気盛んで喧嘩早く、常識外れの振る舞いや身なりを好む傾奇者(かぶきもの)だったそうです。現代に喩えれば、成人式で突飛なファッションを楽しむ荒ぶる新成人と言ったところでしょうか。
ただし決して見かけ倒しではなく、翌天文21年(1552年)には萱津の合戦(対 織田大和守信友)で初陣を飾り、首級一つを上げる武功を立てました。
そのため織田家中や領民たちは、後に「槍の又左(又左衛門)」などと二つ名で呼んだそうです。
弘治2年(1556年)に勃発した稲生の合戦(対 織田信勝)では、敵将の宮井恒忠(みやい つねただ。勘兵衛)によって左目の下を射られてしまいますが、怯むことなくこれを討ち取りました。
さらに永禄元年(1558年)に勃発した浮野の合戦(対 織田伊勢守信賢)でも武功を立てたため、信長直属の親衛隊である赤母衣衆(あかほろしゅう)の筆頭に抜擢されます。
またプライベートでも従妹にあたるまつ(菅井友香。芳春院)を正室に迎え、間もなく長女の幸姫(こう)を授かりました。現代で言うところの「授かり婚」だったのかも知れませんね。

