『べらぼう』蔦重、定信、京伝、歌麿…それぞれの“尽きせぬ欲”とは?その「欲」から始まる新展開【前編】
「欲なんてとうに消えたと思ってたんだけどな」
幕府に、両手首に鎖をはめられる“手鎖(てぐさり)50日の刑”を受けた戯作者・北尾政演(山東京伝/古川雄大)は筆を折るつもりでしたが、蔦重(横浜流星)と鶴屋喜右衛門(風間俊介)が企んだ宴の席で、「きゃ〜!京伝せんせ〜」という“モテのスコール”を浴びせられて引退を辞めます。
「本屋たちにくすぐられた」と分かっていても、やはり、モテたい“欲”、クリエイティブな仕事がしたい“欲”が自分の中にあることに気が付いたのです。そんな政演は、歌麿に「欲はないのかい?」と聞きます。「欲なんてとうに消えたと思ってたんだけどな」と言い、自重気味に笑う歌麿……。
今回、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」40話の副題『尽きせぬは欲の泉』。
「べらぼう」復活の歌麿!北斎と馬琴の実際、宿屋飯盛の末路ほか… 史実を元に10月19日放送回を解説
その名の通り、いろいろな人たちのそれぞれの“欲”」が描かれていましたね。その「欲」から始まる新たな展開を考察してみました。
“己が理想とする世を作る”という“欲”に囚われた定信
お上に“身上半減の刑”を受け、売上、在庫本、のれん、版木ほか、あらゆるものを“半分”にされてしまった蔦屋耕書堂でしたが、そこは転んでもタダでは起きないひらめきの蔦重。
“身上半減の店”であることを売り物にして一気にブームを作り上げたものの、すぐにそのブームは去ってしまいました。
新しく出版した、山東京伝が蔦重のために書いたという『箱入娘面屋人魚』(山東京伝 寛政3年)の前書に、蔦屋重三郎の「まじめなる口上」を掲載したものの、贔屓のお客さんからは「まじめなる口上ねえぇ〜」と不評。以前のような黄表紙を期待しているファンは、興味が薄れてしまったようです。
そんなつまらない世の中にする規制をした張本人、松平定信(井上祐貴)は、家臣に「人は正しく行きたいとは思っていない。楽しく行きたいと思っている」「倹約をもっと緩めてほしい」といろいろ忠告されるも、「いや、倹約が足らぬ!!」と、さらに規制に猛進。
長谷川平蔵宣(中村隼人)や家臣らが、そんな定信の言葉を聞いて「ああ、あかん」という表情をしたのが印象的でした。
倹約のため楽しみを奪う政策で自分の楽しみも失う
“己が正義”と倹約に突き進む“欲”がますます加速する定信。家臣に最近の黄表紙本を並べられ、自分が厳しく規制した内容通りになっていることを確認しながらも、ぱらぱらとページをめくりな憂鬱な表情。
規制命令通りの内容になった思いつつ、個人的には筋金入りの黄表紙ファンなだけに、以前の面白さは無くなったと感じたでしょう。
けれども、立場上、もっとワクワクするような面白い黄表紙が読みたいという思いを優先させるわけにはいきません。
家臣に「殿のお望みの通りになっておりますよ」と言われ、「まこと、良い流れであるが」と言葉を飲み込む定信の複雑そうな顔が印象的でした。
以前、黄表紙に自分のことが描かれて誉められている(勘違いですが)と、声を弾ませ「少しくらい、危ない内容のほうが黄表紙は面白いのだ」と言って目を輝かせていたことを思い出すと、ちょっとかわいそうな気も。
「庶民の楽しみを奪う=自分が好きな文化もつまらなくなる」……ということには気がついたのでしょうけれども。



