『べらぼう』鳥山石燕が見たのは平賀源内!?美人画絵師・歌麿の誕生と謎の雷獣の正体【前編】
「よく、描けたなあ」……
涙を浮かべながら、歌麿(染谷将太)の描いた「笑い絵」(春画)を見て感嘆の声をもらし涙を浮かべる蔦重(横浜流星)。きよ(藤間爽子)と出会い、歌麿は暗澹たる過去の呪縛から解き放たれ、未来へ歩き始めます。やっと、平穏で温かい自分の居場所を見つけた歌麿からは幸せオーラが漂っているようでした。
一方、今回の第35回『間違凧文武二道』のタイトルに「間違」が付いているように、蔦重・クリエーターたち・耕書堂の運命が変わっていくきっかけとなる“間違い”の火種が随所に散りばめられていて、不穏な空気があちこちに漂っていました。
【べらぼう】幸せを見つけた歌麿、定信の真意、おていの恐れた事態が現実に…?9月14日放送の解説・レビュー
そして、平賀源内(安田顕)が“お迎え”に来た……と思わせるような、田沼意次(渡辺謙)と鳥山石燕(片岡鶴太郎)の死。
幸せオーラできらめく“光”の部分と、これからの運命を示唆する “陰”の部分が交差した、今回の話を考察してみました。
音のない世界で春をひさぎ、生きてきた「きよ」
以前、「笑い絵(春画)は売れるし、多くの有名な絵師も描いている」と、蔦重にいわれた歌麿。けれど、“性描写”の構図を思い浮かべようとすると、虐待していた母親や、自らも体を売り自暴自棄になっていた過去を思い出し、筆が進まず幻覚に悩まされるほど泥沼の中で苦しんでいました。
しかし、絵師・鳥山石燕との再会で、花や虫などの“生命を紙に写しとる”絵を描くことで、自分の描きたいものが見つかり己を縛っていた過去の呪縛も解け始めました。
さらに、今回、かつて廃寺で自分が捨てようとした絵を拾い集めてくれた女性きよと再会。耳が聞こえず言葉も話せない彼女に絵のモデルになってくれと頼みます。
歌麿の言葉が聞こえないきよが差し出した紙切れには「きよ 一切 廿四文」の文字が。これは体を売る女性の料金のことです。“一切(ひときり)は線香1本が燃え尽きるまでの時間”。その間だけ、体を売るのです。それが24文とは、当時最下級とされていた「夜鷹」と同じ。
以前、吉原の場末にある最下級の女郎屋では、女郎の揚代は“一切百文”……という話が出てきました。きよは洗濯女という仕事をしてますが、それだけで生計を立てるのは難しく体を売っていたようです。
自分と同様に辛苦を舐めて生活をしてきただろうに、不思議と曇りのない表情のきよに惹かれたのでしょうか。歌麿は、きよを観察しながら絵を描くうちに、彼女のくるくると変わる豊かな表情を見て「何を考えているんだろう」と想像するのが楽しみになっていきます。
おかげで、いきいきとした生身の女性を見て“絵”を描けるようになった歌麿。そんな彼女を愛おしく思うようになり、所帯を持つことを決めました。
きよを見つめながら筆を運ぶ歌麿の表情が、今までみたこともない慈しみと優しさ、そして平穏に満ちていたのがとても印象的。
言葉を交わさなくても、絵や表情を通じて、確実に二人の間には “伝わる”ものが育まれていったことが、よくわかりますね。



