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江戸文学『東海道中膝栗毛』実は男同士の駆け落ちもの?タイトルの意味や内容をわかりやすく紹介

江戸文学『東海道中膝栗毛』実は男同士の駆け落ちもの?タイトルの意味や内容をわかりやすく紹介

弥次さんと喜多さんがお伊勢参りの旅に出て、行く先々でドタバタ喜劇を繰り広げ……『東海道中膝栗毛』と言うタイトルくらいはご存知の方が多いのではないでしょうか。

しかし、もうちょっと詳しく知りたい方も、少なくないと思います。

そこで今回は『東海道中膝栗毛』の内容について見て行きましょう。

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『東海道中膝栗毛』あらすじ

江戸の神田八丁堀(かんだはっちょうぼり。架空の地名)に住んでいる弥次さんこと栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべゑ)と、喜多さんこと居候の喜多八(きたはち)が、開運祈願でお伊勢参りに出かけます。

東海道を江戸から伊勢へ、さらには京都・大坂へ、面白おかしく巡るのでした。

続編『続膝栗毛』ではもっと西へ、讃岐の金比羅様や安芸の宮島を巡ったかと思えば、今度は木曽路を東にたどります。

信州の善光寺や上州の草津温泉を巡った挙句、江戸へ戻って物語は完結しました。

享和2年(1802年)から文政5年(1822年)の20年間にかけてロングセラーを誇ったシリーズは、村田屋次郎兵衛や西村屋与八、森屋治兵衛といった名だたる本屋たちの手で世に送り出されたのです。

弥次&喜多コンビのプロフィール

弥次郎兵衛(やじろべゑ)

屋号は栃面屋。江戸を出発する時点で50歳(満49歳)という設定です。

元は駿河国府中(静岡県静岡市)の裕福な商家でしたが、放蕩が過ぎて借金がかさみ、江戸へ夜逃げしてきたのでした。

借金は 富士の山ほど ある故に
そこで夜逃を 駿河者(するがもの)かな

【歌意】富士山ほどの借金をこさえてしまい、夜逃げをすることになった者だよ、私は。

そんな弥次郎兵衛の性格は下品で軽々しく、作者によれば「のらくら者」「ただのおやじ」などと散々です。

ただし「身を食う芸が身を助く」とはよく言ったもので、楽器の演奏に巧みであったり、高い学識や教養を発揮したりする場面もありました。

喜多八(きたはち。北八とも)

弥次郎兵衛の元に転がり込んだ居候。江戸を出発する時点で30歳(満29歳)、弥次郎兵衛とは親子ほどの年齢差です。

元は陰間(男娼)をしており、弥次郎兵衛とは馴染みの関係。弥次郎兵衛と一緒に駆け落ちしてきたのでした。

江戸にやって来てからは商家の使用人として奉公したはいいものの、店のカネを使い込んだ上に女将さんへ言い寄ったことでクビにされてしまいます。

また色男(自称)でもあり、手ぬぐいをかぶってナンパを試みたら、間違えてふんどしをかぶっていたというドジな一面も。

手ぬぐいと 思うてかぶる ふんどしは
さてこそ恥を さらしなりけり

【歌意】手ぬぐいと思って晒(さらし)のふんどしをかぶり、恥をさらしてしまった。

とまぁ、こんな二人が旅に出るのでした。

2ページ目 『東海道中膝栗毛』の旅程

 

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