室町幕府のダメ将軍?足利義政が逆らえないほどの勢力「三魔」と呼ばれた3人の側近とは?
みなさんは足利義政(あしかがよしまさ)にどのようなイメージをもっていますか?
やはり、京都観光の名物でもある「銀閣寺」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。文化や芸術を大切にし、足利義政のサポートによって発展した文化は「東山文化」と呼ばれています。
文化・芸術への関心が高かった一方、政治面ではあまり活躍を見せていません。
そこで今回の記事では、足利義政の側近で、「三魔」と呼ばれた3人の人物をご紹介したいと思います。
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室町幕府のひきこもり「足利義政」の偉業 〜得意と趣味を貫いたリアル具体例
足利義政の予想外の将軍就任
足利義政は、室町幕府第6代将軍である足利義教(あしかがよしのり)の子どもとして生まれました。将軍家の生まれではありますが、ひょんなことから将軍に。
というのも、父が1441年の嘉吉の変で亡くなり、その跡を継いだ彼の兄・足利義勝(あしかがよしかつ)も、その後9歳という年齢で亡くなってしまったのです。
足利義政は8歳という若さで将軍に選ばれます。まだ若かったため、14歳で元服を迎えたのち、1449年に正式に室町幕府8代将軍となりました。
強すぎた側近
足利義政は将軍の権力を失墜させないよう、意欲的に政治に取り組んでいたといいます。しかし、将軍であっても逆らえないほど力を持った側近が3人いました。
その3人とは、乳母の今参局(いままいりのつぼね)、育ての親・烏丸資任(からすますけとう)、側近の有馬持家(ありまもちいえ)です。
全員、名前に「ま」が入っていることから、「三魔」と呼ばれたそうです。