【明智光秀のメンタルカルテ】光秀はジキルとハイド!?ブラック労働が「本能寺の変」の引き金か
明智光秀(あけちみつひで)といえば、本能寺の変の首謀者。主君を裏切り、こともあろうに命まで奪った、卑劣極まりない人物として描かれることも少なくありません。
しかし最近では、明智光秀もまた被害者であったとする説も浮上しています。その真相に迫るべく、明智光秀のメンタルカルテを覗いてみましょう。
ジキルとハイド!?明智光秀の光と影
明智光秀は、美濃の国、今でいう岐阜県の出身です。
享年55歳。
当時としては、比較的長生きしたと言えるでしょう。そんな明智光秀に対する評価は、まるで別人に対するものの様に二極化しています。
良き父であり良き上司な明智光秀
明智光秀といえば、性格は真面目で職務や上司に対しても忠実そのもの。勤勉さから学問や芸事も極め、鉄砲の名手としても知られていました。
また明智光秀の叔母は、斎藤道三の妻です。そして斎藤道三の娘である濃姫は織田信長の妻となっています。
このことから、明智光秀は斎藤道三・織田信長両名とも親戚関係にあります。当時の名将を親族に持つ明智光秀。親族関係に気疲れすることもあったことでしょう。
それでも明智光秀は、常に自らに課された責務を全うすることだけに尽力しました。
真面目で、何をやってもとことん極める。
上司に忠誠を誓い、全力で結果を残す。それでいて家族や家臣に対しても温厚。
これ以上いい男がいるのか?と言いたくなるほど、文武両道を極め、豊かな人格を持った明智光秀。絵に描いたように理想的な人物でした。
実は独裁者だった!?明智光秀の闇
「明智光秀という人物は、狡猾で残忍極まりなく、まるでその様子は独裁者。」
「唯一褒められることがあるとすれば、忍耐力があるところだけ。」
一般的な明智光秀評とは裏腹に、ここまで酷評した人物が居ます。それが、当時の世相を具に記録していたことで知られる宣教師のルイス・フロイスです。
知識人で武芸も長けた人格者の明智光秀を評したとは到底思えない程、厳しい言葉の数々が並びます。
一説によれば、比叡山延暦寺の焼き討ちが原因とも目されます。
比叡山延暦寺の焼き討ちで、明智光秀が陣頭指揮をとり、出世のきっかけともなったことに対する、一宗教者としての怒り。
それがルイス・フロイスの目を曇らせたのではないかというのです。確かに比叡山延暦寺の焼き討ちは、あまりにも残忍であると後世まで語り継がれる出来事でした。
また明智光秀は、比叡山焼き討ちの功績を讃えられ、織田信長の家臣の中で初めて居城の築城を許されるというスピード出世も果たしています。
ただ、これも全て織田信長の命によるもの。
上司の命を全うしたに過ぎません。明智光秀が使命を全うするために大量殺戮を実現した様子を、狡猾で残忍と評しただけなのか。
はたまた、大義さえあれば倫理道徳に反する行いも厭わない側面が明智光秀にはあったのでしょうか。