3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【一】
江戸時代の漂流者と言えば、ロシアの女帝に謁見した大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)や、アメリカに渡ったジョン・マンこと中浜万次郎(なかはま まんじろう)が有名ですが、古くから海運が盛んな日本では、他にも数多くの漂流記が伝わっています。
今回はそんな一人、紀州のみかん商人・長右衛門(ちょうゑもん)のエピソードを紹介したいと思います。
長右衛門、江戸に出航
長右衛門の生没年は不明ですが、出身は紀伊国藤代(現:和歌山県海南市藤白)と言われ、寛文九1669年11月15日、みかん商人(荷主)として江戸に出荷するみかんと共に同国宮崎(現:同県有田市宮崎)を出航しました。
この時、船に乗り組んでいたのは、船頭の勘左衛門(かんざゑもん)はじめ水夫が5名、そして長右衛門の合計7名。
船は紀伊半島をぐるりと回って志摩国安乗浦(現:三重県志摩市)でしばらく日和待ちのために約1か月半も滞在しますが、みかんが傷んでしまわないのでしょうか。
あるいは、こうしたタイムラグを見越してまだみかんが熟していない内に収穫・出荷して、美味しくなったタイミングを見計らって江戸に持ち込むのでしょうか。
※調べてみたところ、収穫後に貯蔵することで完熟させ、甘さを増して果肉をやわらかくする技術を追熟(ついじゅく)と言って、みかん等の柑橘類ではよく用いるそうです。しかし1か月半は、少し長すぎる気もしますが、どうなんでしょうか。
……ともあれ年も明けて寛文十1670年1月5日、ようやく船は安乗浦を出航、江戸を目指したのですが……。
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