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死ぬも生きるも兄弟一緒!平安時代、数万の軍勢に突撃したたった2人きりの零細武士団の武勇伝

死ぬも生きるも兄弟一緒!平安時代、数万の軍勢に突撃したたった2人きりの零細武士団の武勇伝:2ページ目

一族に名誉を!兄の悲壮な決意

時は平安末期の寿永三1184年2月7日。源平合戦におけるハイライトの一つである一ノ谷の戦いで、源氏方の大将・源範頼(みなもとの のりより)に従う二人の兄弟。

その兄の名は河原太郎高直(かわはらの たろうたかなお)、弟は次郎盛直(じろうもりなお)と言う武蔵国(現:東京都および埼玉県)の住人で、武蔵七党の一つ・私市(きさいち)党を構成する二人きりの武士団でした。

彼らは平家方の大将・平知盛(たいらのとももり)が守る生田の森の砦を攻略せんと臨みますが、双方睨み合うばかりで、なかなか戦闘が始まりません。そんな中、太郎が次郎に言いました。

「なぁ次郎。多くの郎党を率いる大将は自ら戦わずとも部下の手柄が評価されるが、我らは自ら命を賭けて戦わねばならん。まして敵の軍勢を目の前に指をくわえていては坂東武者の名折れ。そこで我一人にて敵陣へ殴り込み、一矢射かけてやろうと思うが、そんなことをすれば千に一つも生還の見込みはなかろう。そこでそなたは陣中に残り、後日わしの武勇を証明して欲しい」

【原文】
「大名は我と手を下ろさねども、家人の高名をもつて名誉す。我らは自ら手を下さでは叶ひ難し。敵を前に置きながら、矢一つをだに射ずして待ち居たれば、余りに心許なきに、高直は城の内へ紛れ入つて、一矢射んと思ふなり。されば千万が一いつも、生きて帰かへらんことあり難し。汝は残り留まつて、後の証人に立て」

生命に代えても一族に名誉を!……そう願う兄の悲壮な決意を聞いた次郎は、泣きながら答えます。

「たった二人きりの兄弟、兄の死と引き換えに弟が栄誉を得たところで、一体何の価値があるでしょうか。いつか別々に死ぬよりも、同じ場所で討死しましょう!

【原文】
「ただ兄弟二人ある者が、兄討たせて、弟が後に残り留まつたればとて、幾程の栄華をか保つべき。所々で討たれんより、一所でこそ討ち死にをもせめ」

兄思いな次郎に感激した太郎は、ひしと弟を抱き寄せてから「いざ!参ろうぞ!」「おう兄者、行かいでか!」……たった二人で平家軍数万の守る生田の森へ突撃しました。

3ページ目 生田の森の先陣ぞや!河原兄弟かく戦えり

 

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