皇族の身分を離れてから再度皇族に復帰し天皇に即位した天皇は存在した:2ページ目
臣下を経て即位した天皇は存在した
実は、そのような複雑な経緯を経て即位した天皇も存在します。それは「猫好き天皇」として知られる宇多天皇と、その皇子である後の醍醐天皇です。
「日本初の猫バカ日記!?臣下を経て即位した宇多天皇を支えたのは、1匹の猫だった」でも取り上げたように、宇多天皇の運命は第57代陽成院の退位により大きく左右されました。
時の摂政・藤原基経は、退位させた陽成院の後継者として仁明天皇の皇子で宇多天皇の父である光孝天皇を擁立しました。
光孝天皇には沢山の皇子・皇女がいましたが、自らをあくまで「中継ぎの天皇」と認識していたため、即位した年に子女全員を臣籍降下させてしまいます。
後の宇多天皇となる定省(さだみ)王も例外ではなく、「源定省」として臣籍に下されました。
彼は3年後、光孝天皇が亡くなる直前まで後継を指名しなかったこと、権力者だった基経が陽成院の弟の貞保親王を即位させたがらなかったなどの諸事情から皇籍に復帰し、立太子→即位となります。
その宇多天皇が源定省だった時に生まれた子が、後に「臣籍の身分として生まれた唯一の天皇」となる醍醐天皇でした。