枯れた野原をただただ鑑賞?江戸っ子が好んだ究極のオトナの遊び「枯野見」とは?:2ページ目
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どんな景色も一期一会
さて、枯野見と言いますのは、読んで字のごとく秋から冬の枯れた野原を鑑賞するという酔狂のこと。
というと「雪見や月見、花見ならともかく、一面枯草だらけの野っぱらなんて眺めて何が楽しいんだ」という野暮が聞こえてきそうなものですが、そんなら逆に伺います。
雪はただ白いですか?月はただ黄金色ですか?花はただ一色ですか?
……確かに、鮮やかな色、華やかな色は分かりやすく人の目を惹きます。しかし、雪も月も花も決して単色ではないように、枯野のも枯野なりの味わい深さがあるのです。
同じ場所でも時間や天気、挙げ句は気分に至るまで、見えるすべてが一期一会、二度と同じ景色は見られません。
どんな景色もかけがえのないご縁として丹念に鑑賞し、味わい尽くすのが大人の遊び心であり、一見地味な枯野なればこそ、一句ひねるようなユーモアのセンスがより一層問われるのです。
まとめ
「考えざる者、遊ぶべからず」―杉浦日向子
昔から「カネがなければ知恵を出せ、知恵を出すには汗をかけ」などと言いますが、とかく安直な快楽がもてはやされがちな昨今、センスを磨き、感性を研ぎ澄ますことに楽しみを創造する江戸っ子たちの生き方は、受動的な刺激に飽きてしまった現代人に大切なヒントを与えてくれているようです。
※参考文献:
杉浦日向子『うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた『江戸』』ちくま文庫、2009年11月10日、第一刷
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