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元横綱・双羽黒の北尾光司が死去。相撲界に大きな影響を与えた「無冠の天才横綱」

元横綱・双羽黒の北尾光司が死去。相撲界に大きな影響を与えた「無冠の天才横綱」

「無冠の横綱」双羽黒が死去

元横綱・双羽黒北尾光司(きたおこうじ)さんが、2019年2月10日に亡くなっていたことがわかりました。まだ55歳という若さでした。

素質と将来性を期待されて優勝経験がないまま横綱となったものの、親方との意見の対立から部屋を脱走しそのまま廃業したことは、その後「横綱の名を汚す不祥事」として語り継がれました。

しかし双羽黒は後の相撲界、特に大関から横綱への昇進に関することに、大きな影響を与えた横綱でもあったのです。

双羽黒が本名の北尾として初土俵を踏んだのは、1979(昭和54)年の3月場所。この場所に初土俵を踏んだ力士には、ほかに後の横綱・北勝海や関脇・寺尾などもいて「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)と呼ばれました。

2m近い身長と素質に恵まれた北尾は、部屋を抜け出して親方に連れ戻されるというトラブルを度々起こしたものの順調に出世を果たし、1986(昭和61)年1月場所に大関に昇進し、同年7月場所後に22歳11ヶ月で横綱に昇進しました。

北尾には幕内最高優勝の経験がありませんでしたが、5月・7月場所と最後まで優勝争いに絡み、2場所連続優勝次点・同点という活躍ぶりと将来性が評価されたのです。

横綱昇進を機に、四股名は所属する立浪一門の大横綱「双葉山」「羽黒山」を合わせた「双羽黒」に改名。
当時の春日野理事長も「そうすれば史上最高力士が誕生するかもしれん」と、大変な期待を寄せていたことが伺えます。

2ページ目 双羽黒が角界に与えた影響

 

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