日本に座禅をもたらした僧侶「栄西」は実は天台宗の密教僧だった:2ページ目
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そもそも栄西が修行の中に座禅を取り入れたのは、当時、腐敗して政治の道具となってしまった仏教勢力を立て直すためでした。しかし、彼の生きた時代では既存の仏教勢力の力が強く、なかなか大っぴらに新しいものを取り入れることができませんでした。
そこで、彼は鎌倉で密教儀式を行う傍ら、禅による仏教思想の再興を狙っていたのです。
栄西は、激しく相手の宗派を攻撃し、対立しあうという選択をせず、まずは同時代の社会に受け入れられるような形をとりながら、徐々に新しい価値観を浸透させていったのです。
栄西が日本にもたらした座禅は、その後、明全、道元らによって受け継がれてゆき、やがて独自の宗派として根付いていったのです。
また栄西がもたらしたのは座禅だけではありません。奈良時代以降、日本では廃れていた「お茶」と「喫茶」のブームにも再び火をつけました。
『吾妻鏡』には、深酒に悩んでいた鎌倉幕府二代将軍・源実朝に、自身の著である『喫茶養生記』とともに、良薬として茶を献上した旨が記録されています
このようにして鎌倉時代には、お茶と喫茶は禅宗寺院とともに浸透していくようになったのです。
座禅にせよお茶にせよ、当時、比叡山にこもって学問修行に明け暮れてばかりいた仏教から考えると、現実的でより実践的なものだったのかもしれませんね。
栄西が日本にもたらしたものは、日本文化のワン・コンテンツとして、今も世界中の人たちに何らかの形で影響を与え続けているのです。
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