極限で問われる武士の真価!テロに屈せず人質も見殺しにしない源頼信が示した「兵ノ威」とは(下):2ページ目
「今度こそ、まっとうに暮らせよ」
さて、頼信は家来たちに命じて盗人を捕らえて引き出させました。
大切な息子を殺そうとした極悪人ゆえ、親孝は斬り捨ててくれようと息巻きますが、頼信はそれを制して言いました。
「こやつはこの頼信を信じて息子を解放したのだから、約束を反故には出来ない。そもそも盗みをはたらくのは貧しいからであり、人質をとったのは助かりたいからであって、憎む事でもない。結局、息子は無事だったのだから、今回ばかりは赦してやる。道中、何か入用な物はあるか?」
【原文】「此奴、糸(いと)哀レニ此ノ質を免シタリ。身ノ侘シケレバ盗ヲモシ、命ヤ生(いかむ)トテ質ヲモ取ニコソ有レ。悪(にく)ガルベキ事ニモ非ズ。其レニ、我ガ「免セ」ト云ニ随テ免シタル、物ニ心得タル奴也。速(すみやか)ニ此奴免シテヨ」、「何カ要ナル。申セ」
こう聞いて、盗人は感涙にむせぶあまり、何も言えなくなってしまいます。
そこで頼信は家来に命じます。
「よし、こやつに食糧を少しくれてやれ。それと、盗みの報復を受けるかも知れないから、厩の駄馬に鞍を載せたものと、弓矢も一揃いくれてやれ」
罪を赦したばかりか、そもそも盗みをするのは飢えたゆえ、と食糧を与え、更には報復を受けない場所まで身を護れるよう、馬や武具までくれてやる始末。
盗人の恐れ入りようは、察するに余りあります。
「その食糧がある内にまっとうな仕事を見つけて、今度こそ全うに暮らせよ……さぁ、早く行くがいい」
【原文】「此ヨリヤガテ馳散(はせちら)シテ去(い)ネ」
盗人は頼信に礼を言い、親孝父子に詫びると、そのまま駆け去っていったのでした。
その後、盗人がどうなったかは誰も知りませんが、命の助かった親孝の息子は、金峰山(みたけ。現:奈良県吉野郡・金峯山寺?)で出家して明秀(みょうしゅう)と名乗り、修行を積んだ末に阿闍梨(あじゃり)となられたそうです。