行きはよいよい帰りは…どうして”怖い”のか?童謡「とおりゃんせ」に込められたメッセージ:3ページ目
終わりに
この考え方は、地方によって「つばなれ」とも呼ぶそうです。
年齢を「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ」と数え、「十(とお)」でようやく「つ」と付かなくなる=離れることから、子供が10歳になることを指しました。
「(前略)やーっつ、ここのーつ、とお
「つ」の付くうちは神様の
いやいや、やっぱりうちの児ぞ
つばなれせんでもうちの児ぞ」
※岡野雄一『ペコロスの母に会いにいく』西日本新聞社、2013年2月10日、第十一刷
いくつであろうが、水子・蛭子であろうが、我が子を失った者の悲しみは、いつの世も癒し難いもの。
「とおりゃんせ」と口にするたび、その悲しみが少しでも癒されることを、先立った子供たち、そしていま元気に生きようとしている子供たちの幸せを願わずにはおれません。