行きはよいよい帰りは…どうして”怖い”のか?童謡「とおりゃんせ」に込められたメッセージ:2ページ目
人間の子として「生きる」ことの恐ろしさ
それはいいのですが、どうして「帰りは怖い」のでしょうか?
昔は現代と違い、生まれた子供がすぐに死んでしまうことは、そう珍しくもありませんでした。
だから、ある程度身体がしっかりと育ち、抵抗力をつける7歳までは「神様の子」と思うことにして、死んでも「元々神様の子なんだから、神様の元へ帰っただけなのだ」と解釈することで、自らを慰めていたのです。
しかし、どうにか7歳まで成長したら、もうその子は「人間の子」となり、神様の子ではなくなります。
七五三とは、いわば「この子を人間の子として、私の子としてお認め下さい」と神様にお願いする儀式で、子供の魂をその身体とこの世に定着せしめることが目的でした。
かくして7歳になった子供は、もう神様も守ってくれません。
自分の力で、そして親子や家族、地域と助け合い、共に生きていかねばならないのです。
そのことを実感するにつれ、帰り道はどんどん恐ろしくなっていく。
でも、恐ろしくても生きねばならない。
「さぁ、お通りなさい……お通りなさい……」
この唄には、そんなメッセージが込められています(※諸説あります)。