生きていくために。明治の世、職業を失った元武士たちが手がけた様々な名産品とは?:3ページ目
萩の士族を助けた夏みかん
日本の夏みかんの歴史は、なんと海岸で拾った果実が始まり。西本チョウさんという女性が現在の山口県長門市の青海島で拾ったその果実を庭先に撒いて育てたといわれてます。その果物は次第に萩一帯に広まりました。
商業的に栽培が本格化されたのは、明治。市が困窮した士族たちに苗を配り、積極的に奨励。そして萩の名産として有名になるのです。
夏みかんの名前は最初から「ナツミカン」だったわけではありません。最初は同じ木に果実がなり続けることから、家が代々続きますようにという願いも込めて「代々(だいだい)」と呼ばれていました。
しかも当初は適切な収穫期が夏だと知られず、他の蜜柑と同じように冬に食べると酸味が強かったため、観賞用やお酢の代用として使われていました。たまたま夏に食べた人がそのおいしさに気づいて、「ナツダイダイ」と呼ばれるようになったそうです。
そして明治17年、大阪の商人にすすめられて「夏みかん」に改名。何故かというと、近畿地方で中風のことを「ヨヨ」といい、代々(だいだい)の文字がヨヨとも読めるため、縁起が悪いとされたのです。
こうして夏に食べられる蜜柑=ナツミカンという名前に改名しました。
今では他の品種におされて出荷量が年々減っている夏みかん。甘夏みかんは夏みかんを交配させて作った別品種で、いま夏みかんといえばこの甘夏を指すようになってしまいました。最盛期は夏みかん2、3個で米一升交換できたといいます。侍を救った萩の味、絶やさぬようにして欲しいですね。