生きていくために。明治の世、職業を失った元武士たちが手がけた様々な名産品とは?:2ページ目
静岡をお茶どころにした勝海舟
日本一のお茶どころ、静岡。日本茶の生産量の四割を占めています。実はその発展には、勝海舟が大きく関わっていました。西郷隆盛と「江戸無血開城」を行ったのち、行わなければならない後始末は、元旗本や家臣の生活をどうするかでした。
徳川家は明治政府に命じられ、静岡に移住させられます。徳川家は700万石の収入で3万人の家臣を養ってきましたが、静岡の収入はたったの70万石。実際、静岡に移住したのは1万3千人といわれていますが、徳川家が雇い入れる事ができるのは五千人程度でした。
そこで勝が目をつけたのがお茶。
既に静岡ではお茶の生産が行われており、それを積極的に開墾し事業拡大しょうと画策したのです。開墾を進めた牧之原台地の気候や土地は、お茶の生産に非常に適しており、勝の期待通り、お茶は武士たちの家計の助けになったのです。
ちなみに静岡にお茶をもたらしたのは駿府出身の僧・円爾。1244年に宋から種子を持ち帰りました。まさか何百年も後に侍を助けるとは思っても見なかったことでしょうね。