家康にも臆さない。勇猛果敢な真田信繁(幸村)は本当は物静かな武将だった:3ページ目
孝顕寺(福井県福井市足羽)
大坂の陣で信繁の首級を挙げた越前松平家の家臣西尾仁左衛門宗次は、本国帰還後に福井にある孝顕寺に首塚を建立しました。 孝顕寺は越前松平家の藩祖・結城秀康が菩提寺と定めた寺院。西尾家もここを菩提寺としました。
後に真田地蔵として信仰を集めるようになったこの首塚ですが、現在は福井市立郷土歴史博物館に保存されています。
妙慶寺(秋田県由利本荘市岩城亀田最上町)
御田姫(顕性院)は、信繁と豊臣秀次の娘・隆清院の間に生まれた幸村の四女で、大坂の陣後は出羽佐竹家の佐竹義家の弟・宜家の側室となります。
その後、佐竹家のお家騒動によって宜家との間に生まれた重隆が藩主となり、顕性院も藩主の母の立場で真田家の復興に力を尽くします。
顕性院が真田家の菩提を弔うために建立した顕性山妙慶寺で、真田一族の供養塔が建立されています。
安井神社(大阪府大阪市天王寺区逢阪)
大坂夏の陣で徳川家康の本陣を奇襲した後、真田信繁は四天王寺近くの安居天満宮、別名安井神社で西尾宗次に討たれたといいます。
このため、安居神社境内には真田信繁戦死跡碑があり、毎年5月5日になると、信繁の法要が執り行われています。