時代劇でお馴染み”ちょんまげ”。なぜこのような変わった髪形文化が日本に定着してたのでしょうか?:2ページ目
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銀杏髷(いちょうまげ)
江戸時代にいちばんポピュラーだったのは、結い方です。髷を折り返した先を銀杏の葉状に広げているためこのように呼ばれました。
身分によって多少の違いがあり、武士は髷を長く月代を狭くしました。町人は小銀杏と呼ばれるスタイルで、商人は銀杏をより小さめにし、職人は太く短めにして男性らしさを強調しました。
本多髷(ほんだまげ)
月代を非常に広くし、髷をネズミの尻尾のように細くしたものです。
柔和な印象を与えた髪型で、吉原の遊郭に出入りするならこの髷でないと相手にされないと言われたほど、「粋」の象徴でした。
1871年になると、明治政府による散髪令の布告と、2年後の明治天皇の断髪によって、「ちょんまげ」はほとんど見られなくなりました。
ただ、現在でも髷を結うスタイルは大相撲などに連綿と残っています。
世界的にも珍しい髪形文化、「ちょんまげ」。 その誕生にはこのような、実用的な理由があったのですね。
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