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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第27話:2ページ目
陽の昇りきった未の刻。
みつが手ぬぐいをかぶって京町一丁目の木戸門の外に出ると、
「そこな姐さん」、
懐かしい声が胸に響いた。
「笹色紅、よっく似合ってんじゃねえか」。・・・・・・
みつは声の方を振り返った。
木戸門横の用水桶の陰に、夢にまで見た男の笑顔があった。頰被りに腕組みをして木戸門の壁に凭れている。
「国芳はん・・・・・・!」
みつは泣きそうな表情で、男の腕に飛び込んだ。
岡本屋のお内儀が奥の内証で休んでいる間に、みつは国芳を二階の自分の部屋に引き入れた。
みつは、わざわざ国芳好みの庶民じみた格好をしていた。浴衣こそ大柄の菊と花七宝の見事な藍の絞り染めで一目で高価と分かるような代物だが、肩には豆てぬぐいを小粋に引っ掛けて、着こなしは素人(じもの)に近い。
髪には赤い絞りを掛け、前髪には銀の一本簪をちゃっと差して横鬢の毛がしどけなく落ちてきているさまもどことなく下町の風情が香った。
「なんで全然来てくれなかったの」
肌膚が紫になるほどに国芳の腕をつねると、国芳は嬉しそうにしながらも謝った。
「悪りい悪りい!父っつぁんが死んでから、色々落ち着かなくってよ」
「豊国師匠の事は残念だったね」
国芳の師である歌川豊国は、今年の一月に亡くなった。それ以来、国芳が吉原遊廓を訪れる事はめっきり減った。
「イヤア、あのクソジジイは充分生きたさ。大往生だろ」
「師匠の傾城水滸伝、すっごく面白かったよ」
「ああ、読んだのか。初編は父っつぁんの遺作だからな。面白くねえわきゃねえ」
「ええ、そりゃもう、あたし水滸伝が大好きだし、一日で読みきっちゃったんだから」
「そうか、そりゃ良かった」
「実は、師匠が亡くなったと聞いてからずっと国芳はんに渡したかったものがあるの」
「何でえ?」
「これ。・・・・・・」
柳行李を開けて取り出したのは手ぬぐいだった。
しかし、普通の手ぬぐいとは様子が違う。
「何だこれア。・・・・・・」
その布を見るにつけ、国芳は開いた口が塞がらなくなった。
布の上には、見たこともない細やかさでびっしりと刺繍がなされていた。
「暗くして見て。」
開いていた障子窓を閉め、ほの暗い部屋の中で手ぬぐいに再び視線を落とすと予想だにしない模様が浮かび上がった。
一針一針かすかな糸の輝きの差異で縫い分けられ、闇に浮かび上がったのは九頭の龍である。しかし、余りに繊細な明度の差で模様を入れてあるために、行燈の側に寄って光に晒すと忽然とその龍たちは姿を消した。そして闇に戻すと、途端にまたすうっと龍が浮かび上がるのである。
「九紋龍を縫ったの。国芳はんに元気になってもらいたくて」
「すげえ・・・・・・!こいつア妖術か、それとも手妻(てづま)か」
ふふ、とみつは笑って首を横に振り、
「色の見えないあたしの目だから、縫えたの」
少し得意そうに言った。
「そうか。」・・・・・・
国芳は舌を巻くと同時に、体の底から得体の知れない熱いものが沸き上がるのを感じた。
「おみつ、おめえ、ほんにすげえよ!ありがとう、ありがとう・・・・・・」
国芳は無邪気に喜び、みつの事を腕の中にぎゅっと閉じ込めた。
女の髪から身体から、鬢付(びんづけ)と伽羅(きゃら)の香の混ざったような馥郁とした匂いが香って、男を天にも昇るような心持ちにさせた。
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