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人気登山道の開削者。レジェンドとなった猟師・小林喜作の数奇な人生

人気登山道の開削者。レジェンドとなった猟師・小林喜作の数奇な人生

/ 人物
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2018/10/25

また健脚ぶりも凄まじく、吹雪で遭難者が出たときは捜索隊もろとも一人で全員助け上げたり、小屋が盛況で朝食分の食材が足りなくなった時は、その夜の内に麓から米と味噌を担いで戻ってきて、朝には米を炊いていたといいます。

悲劇が呼ぶ謎と伝説

そんな喜作に、悲劇が遅いかかります。

大正11年に小屋を開業した翌年の12年3月、彼はこれを最後の猟にしようと長い山行に出かけました。その先の鹿島槍ヶ岳で吹雪に遭い、山小屋で寝ていたところ、雪崩により押しつぶされて死んでしまったのです。

しかも不運なことに、同行していた長男の一男までが一緒に死んでしまいました。

ところが同行していた他の5人の猟師が無事で、喜作と長男だけが死んだことから、地方新聞も揺るがすスキャンダルに発展しました。

「喜作は雪崩に見せかけて仲間に殺されたのでは」という説が持ち上がったのです。

彼は金勘定に賢く、猟師から毛皮を買い上げてその利ざやを得たり、獲物を狩りすぎるなどの反感をかっていたため、小屋の繁盛を目にした他の猟師から妬まれた、という疑惑です。

同行者に縄張りを異にする猟師がいたことや、生き残った一人が雪崩をかき分けて這い出てきたという証言に信憑性がないこと、雪崩が起きそうな小屋に喜作が寝るわけがないこと、彼の財布に入っているお金が少ないことなどが疑惑に拍車をかけました。

結局検証したものの確たる証拠はなく、この一件は「不運な事故」として収束します。また、喜作を妬んだ者もいるが、喜作自身は人柄も良く、たくさんの猟師から慕われてもいました。

しかし喜作の弔い中に墓が動いたとか、喜作の猟犬が引き取り手の家から逃げ出し山を彷徨っているなど、近隣の村々では喜作の死のショックがしばらく残っていました。

3ページ目 喜作の功績

 

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