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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第21話

【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第21話

「よくできた兄さんだったよ。世間様から豊国を超えると言われても、驕らず常に謙虚に誰よりも遅くまで残って描いて、絵師のあるべき姿てえのを示してくれた。まだガキだった俺にもいつも目尻を下げてにこにこしててな。教えるのも上手かった。俺だけでなく、工房の仲間ア全員国政兄さんの事が大好きだった」

「へえ」

 

「あの国貞兄さんですら子ども扱いされてな。でも国貞兄さんは、嫌がるどころかよく懐いていた。憧れていたんじゃねえかな」

「そうなのか」

「それがいつ頃だったか、国政兄さんは急に絵を描かなくなった。あの中庭の見える部屋にこもって、張り子の面を日がな一日作るようになった」

「へえ、どうしちまったんだろう」

「分からねえ。俺が聞いたらにこにこして心変わりだと言っていたがな。面がいっぱいになると、それを担いで子ども相手に売り歩いていた。優しい兄さんだから、近所の子どもにも好かれていたよ。だが、知らぬ間に患っていたらしい。ここ一、二年の間にだんだん寝付くようになって、去年の暮れに病で死んじまった」

「それア」、

芳三郎は思わず涙を浮かべた。

「寂しいな」。

「ああ」

それからは毎日が通夜のようだった、と国直はぽつりと言った。

「でも」、

国直は明るい声で打ち消した。

「代わりにおめえみてえな威勢の良い元気なのが来てくれた。国貞兄さんも、本当は救われたような気持のはずだ。他の皆も、勿論俺だって嬉しいさ」

「本当(ほん)に?鯛兄イ、おいら、あの工房に居てもいいのか」

「それアてめえ、もちろんだ。もちろんだともよ・・・・・・」

国直は手を伸ばし、芳三郎の頭を優しく掻き撫ぜた。

歌川国直二十一歳、芳三郎十六歳。

歌川豊国の門下に入ってようやくひと月経ったこの日、芳三郎はのちに歌川国芳となる第一歩を踏み出した。

 

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