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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第21話:2ページ目
「おめえには酷な話だが、あの人アは天才だよ。迸る才気、努力の量に裏付けられた腕、時流に乗る運の強さ。父っつぁんを超すッつう評判を得た弟子は俺の知る限り二人目だ。ま、見ての通りあの人の腕にゃア父っつぁんもベタ惚れさアな。そんな人を超えてえと思うなら、とにかく頑張って描いて描いて、手がもげるくらい描き続けるしかねえなあ」
「・・・・・・。」
「頑張りすぎてぶっ倒れる頃に、ようやく父っつぁんは絵の相手をしてくれるかもしれねえ。努力してかならず父っつぁんが相手にしてくれる保証はねえが、これだけは言える。努力しねえ奴を父っつぁんが目にかけた事アねえ。努力しねえ奴は、勝負する前にそもそも土俵にあがれねえ」
国直は自分の言葉に頷き、更に続けた。
「正直、こんな辛え事アねえ。真っ暗な道を正しいかも分からず走り続けなきゃならねえんだ。努力の分だけ報われる保証はねえ。努力を重ねても、入るもんが懐に入って来なけりゃ意味がねえ。そんな不安定な毎日に耐えきれなくなる野郎も中にゃアいる。天下の歌川豊国の門下でも、妬み嫉みはあるもんでね。俺ア三馬と組んで初めて売れた時に、目エやられかけた」
国直は、左目の横に薄っすら走る引き攣れた傷痕を指した。火箸でも押し付けられたような痕である。孫三郎の背筋にヒヤリと冷たいものが走った。
「誰が、そんな酷え事・・・・・・」
「知らねえ」
国直がかぶりを振った。
「暴いたところで、兄弟子の誰かを可哀相な末路に追い込む事になるだけだ。そんなのぞっとしねえ。だからこそ、この腕はそういう卑怯な者共から俺の大事な弟分たちを守るために鍛えたのよ」
太い腕っぷしをパンと叩いて国直は微笑した。
「もう一度聞くよ。てめえは本気で頑張る覚悟、あるか?」
国直の瞳の奥の鋭い光が、芳三郎の目を射抜いた。
芳三郎は大きく頷いた。
「辛えぞ?」
「平気でえ」
「そうか。そんならおめえは今日から辛い修行に入る。絵師の道行は沼のように深くて先が見えねえ。おめえは色々な事を犠牲にしなきゃならねえよ。俺たちア家族も色恋も遊びも何もかも一番にゃアできねえ。だが、その代わりにもし本気で頑張るおめえに手を出すような輩がいれば、俺がこの腕で守ってやる。だから」、
国直は目に沁みるような笑顔をした。
「芳は安心して、絵を描きな」。
垂れた目尻が優しく、頼もしかった。
「さあ、今日はもうしめえだ。寝よう」
国直は魚油くさい行燈をふっと吹き消した。
江戸の夜は暗く、長い。
灯を点けようとすると油代が馬鹿にならないので、夜はさっさと寝るに限る。
「・・・・・・鯛兄イ」
ひと月ぶりに夜着に包まり、その柔らかさに感動してすっかり寝付けなくなった芳三郎は、訊いた。
「父っつぁんの腕を超えると言われたなア、国貞兄さんで二人目だと言ったかえ」
「ああ、言ったな」
「そんなら、一人目ア誰なんだ」
「それア、国政の兄さんだ」
(ああ、あの張り子のお面の。・・・・・・)
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