なぜそんな人物が?六歌仙なのにひとりだけ百人一首に撰ばれなかった「大友黒主」:2ページ目
大友黒主とは
まずは大友黒主とはどんな人物かを紹介しましょう。
大友黒主は、同音の「大伴」氏とは出自は別です。古来の日本豪族一族である大伴氏とは違い、「大友」氏は渡来系の一族。奈良時代ごろから現在の滋賀県を拠点にしている一族です。
もとは天智天皇、その息子である大友皇子(弘文天皇)に仕えた一族でしたが、大友皇子が天武天皇との後継者争いに敗北してからは不遇の時代が続きます。また、大友黒主の時代はすでに藤原氏が権力を握っていた時代です。地方の大領でしかない黒主の官位は従八位上程度でした。
「古今集」での評価は?
そんな無名の黒主がなぜか貫之によって六歌仙のひとりに選ばれたのです。
さて、肝心の評価はというと、
大友黒主は、そのさまいやし。いはば、薪負へる山人の花の蔭に休めるがごとし
「古今和歌集」(校注・訳:小沢正夫・松田成穂「新編日本古典文学全集」/小学館より)
「大友黒主の歌の姿はひなびている。言ってみれば薪を背負った山人が花の陰で休んでいるような感じ」というもの。ほめているんだかいないんだかよくわからない評価ですが、それでも貫之は六歌仙を挙げ、最後には「この六人以外は本当の歌の何たるかを知らない」と言っているので、黒主のことは歌の神髄をとらえた人物として評価しているのは確かでしょう。