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紫式部が仕えた一条天皇の中宮、12歳で天皇に入内した平安時代のプリンセス 藤原彰子

紫式部が仕えた一条天皇の中宮、12歳で天皇に入内した平安時代のプリンセス 藤原彰子:3ページ目

栄華の後の彰子の後半生って?

「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思へば」

こんな歌まで詠むほど栄華を極めた彰子の父・藤原道長でしたが、1028(万寿4)年に亡くなりました。
その後、彰子はどうなったのでしょうか?

父・道長が亡くなった頃、彰子は既に先々代の天皇の后・太皇太后となった後に出家し、上東門院と号していました。2代の天皇の母である彼女は、その後も国母として道長の長男・頼道らと共に摂関政治を支え続けましたが、1036(長元9)年に後一条天皇、1045(寛徳2)年に後朱雀天皇に先立たれ、更に孫にまで先立たれています。

彼女が亡くなったのは1074(承保元)年、87歳でした。30代・40代で亡くなる人も決して少なくなく、長寿の祝いを40歳から行っていた当時としては、かなりのご長寿でした。

時代は既に彰子の曾孫・白河天皇の御代となっていました。父・道長の後を継いだ頼道・教通の兄弟も彰子と前後して亡くなり、ほどなくして藤原氏による摂関政治は院政へ取って代わられていきました。

 

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