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才色兼備の頼れる女性!幕末に翻弄されながらも気高く生きた会津の「松平照姫」

幕末に翻弄されながらも気高く生きた会津 松平照姫

松平照姫とはどんな人物?

松平照姫は、天保3(1833)年12月13日に上総飯野藩主・保科正丕と、側室の佐々木民との間に誕生しました。10歳で会津藩主・松平容敬の養女となった後、豊前中津藩主・奥平昌服と結婚しましたが、安政元(1854)年に離婚して江戸の会津藩邸に戻っています。

(画像出典:松平照/Wikipedia)

彼女が会津藩の若松城に入ったのは、鳥羽・伏見の戦いの後のこと。藩主となっていた松平容保の正室の敏姫が1861年に亡くなっていたため、城内で最も身分の高い女性だった照姫が、若松城籠城戦の際に城内の女性たちをまとめ、後方支援に尽力しました。

降伏・開城後は紀州藩邸にお預けとなった後、実家の飯野藩邸に預け替えとなり、1884(明治17年)2月に東京で亡くなっています。享年51歳でした。

照姫は美人で、更に書道・茶道・和歌などの教養にも秀でた女性だったといわれています。現代でも美人で頭も性格も良い女性がなかなか良いご縁に恵まれない例を目にしますが、照姫も理想的な女性だったにもかかわらず、若くして離婚した後は再婚していません。子宝に恵まれなかったとはいえ、夫との夫婦仲は決して悪くはなかったということで、彼女の離婚の理由は謎とされています。

3ページ目 照姫さまの感動的エピソード

 

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