幕末の志士たちも惚れた!強者・楠木正成のアツ過ぎる一生[その四]:3ページ目
激戦、湊川の戦い!されど、正成の天命は尽きていった…
翌朝、5月25日の辰刻(午前8時)に九州から多くの武士に守られた尊氏の船団が湊川に到着します。義貞は三方向が海に面する和田岬に、正成は湊川西部の会下山に布陣しました。双方が矢を射かけ、刃を交えた大乱闘に発展しますが、義貞がミスを犯します。
「先頭で東に上陸しようとしている船にこそ、尊氏がいるのでは?」
しかしそれは足利軍の妙計であり、尊氏は後方の船にいたのです。まんまと誘導されてしまった義貞が和田岬の防備を手薄にしてしまったため、楠木軍と新田軍は分断されてしまったのです。
しかも、退路を断たれるのを恐れた義貞が一目散に逃げ出してしまったことで正成達は孤立してしまい、700余騎で尊氏の大軍を相手にする事になります。逃れられぬと悟った正成は、足利直義(ただよし。尊氏の弟)の軍に16回も突撃をして損害を与えました。
この戦いは6時間にも及び、楠木軍は73騎にまで減って正成自身も11か所に傷を追って力尽きてしまいます。正成と正季らは一軒の民家を見つけ、そこを最期の場所に決めました。正成が死ぬ前に何を思うかと正季に尋ねると、
「兄貴…俺は7たび人間に生まれ変わって、朝廷の敵を倒したいよ」
それに対して正成もうなずき、
「罪深い事を考えているなぁ…ワシも同じだよ」
そして、正成と正季は刺し違えて自害し、配下全員も自決しました。盟友の末路を知った尊氏は正成を不憫に思い、その首級を故郷の家族に引き渡します。こうして正成の一生は終わりましたが、その後も彼の生き様は伝説として語り継がれます。次回は、後世に語り継がれた正成について紹介します。