徳川慶喜が晩餐会で欧米の公使をもてなした味を再現、幕末と現代をつなぐ珈琲「徳川将軍珈琲」
徳川慶喜の曾孫、徳川慶朝
最後の将軍・徳川慶喜の曾孫、徳川慶朝(とくがわよしとも)さんが昨年亡くなられ、徳川慶喜家の嫡流が途絶えてしまったことが、個人的には悲しい出来事でした。慶朝さんは旧公爵徳川慶喜家4代目当主であり、お母様が松平容保の息子である松平保男の四女・和子さんですので、松平容保の曾孫でもありました。
そんな慶朝さん、日本のアマチュアカメラマンの先駆けだった慶喜公の血筋を示すように、職業は写真家でした。
『徳川慶喜家にようこそ』などの著作では「幕末、もし私が慶喜と同じ立場になったら即政権を返上する」「よく、世が世なら将軍でしたねと世間にいわれるが、ちっとも羨ましくない、現代に生まれてよかった」などなどの発言をされ、その飄々とした語り口がやはり慶喜公と重なるようでした。
徳川家ゆかりの珈琲
本職の傍ら、大の嗜好品だった珈琲を自ら焙煎し、販売。茨城県に本社のあるサザコーヒーと提携し開発した珈琲は、「徳川将軍珈琲」という名で発売されています。
この珈琲、1867年に慶喜公が大坂の晩餐会で欧米の公使をもてなした際に供したと言われている、当時の味を再現したもの。私も1つ購入して飲んでみましたが、通常のマグカップサイズの分量でもエスプレッソ並みの苦味と濃さ!
珈琲は古代では薬として服用されていた歴史を持ちますが、まさに目の覚めるような、気付け薬と言っても過言ではない深煎り具合。晩餐会では、この一杯をゆっくり時間をかけて楽しみながら会談などしたのでしょうか。
慶喜公と慶朝さんは、多趣味で頑固一徹な性格が共通しているようです。幕末と現代をつなぐ珈琲。明治期の日本に思いを馳せながら、深い余韻を味わってはいかがでしょうか。