【豊臣兄弟!】16歳の若武者が「小牧・長久手」で壮絶な最期!家康を勝利へ導いた病床からの死闘:2ページ目
敵の大軍を三度も押し返す
「何じゃ、見逃してやろうと思うておったに。そんなに死にたければ、ひと思いにねじり潰してやろうわい」
とばかりに池田恒興は大軍を差し向け、氏重主従に津波の如く襲いかかります。
しかし元より決死の覚悟を固めた氏重主従は寸毫も動じることなく、奮戦の末に三度も敵を押し返す敢闘ぶりを見せつけました。
「さぁさぁ、戦はこれからじゃ。者ども、上方の連中を震え上がらせてやれ!」
まだまだ意気軒昂たる氏重主従でしたが、程なくして羽柴方の猛将・森長可(もり ながよし)が加勢に駆けつけます。
火縄銃の一斉射撃を受けた氏重主従はにわかに浮き足立ってしまい、その隙を突かれて氏重は討ち取られてしまいました。享年16歳。
城代を失った将兵はなおも抵抗しますが、次第に追い込まれて岩崎城は陥落。氏重の弟である丹羽伝七郎(でんしちろう)や丹羽四郎右衛門(しろうえもん)も討ち死にしたと言うことです。
ほか討ち死にした者は、首級を確認できる限りで200名以上に及び、これらの首級は後に奪還されたのでした。
終わりに
今回は小牧・長久手の戦い(岩崎城の戦い)で討ち死にした16歳の若武者・丹羽氏重について、その心意気と最期を紹介してきました。氏重らが討ち死にした悲報に接して、氏次は報仇雪恨の闘志を燃やしたことでしょう。
氏重主従が池田恒興の大軍を岩崎城に足止めしたお陰で、徳川方は三河中入りの奇襲に気づき、その策謀を打破できたのでした。
もしかしたら、家康が小牧・長久手の戦いを有利に進められたのは、丹羽氏重のお陰かもしれませんね。
家康が天下を獲り、盤石のものと出来たのは、こうした命を捨てて忠義を尽くす家臣たちあってのことだったのでしょう。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では残念ながら割愛されてしまったものの、今回の記事が、家康に勝利をもたらした忠臣たちの心意気を偲ぶ縁(よすが)となれば幸いです。
※参考文献:
- 渡邊大門『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』朝日新書、2020年7月
